そう、阪神淡路大震災から18年が経つ。
21歳になりたての頃の話になる。
まだ結婚もしていないし、酒、タバコ、車でガンガン走っていた頃
の話になる。
確か20歳で免許を取り消され、免許は無かった時と記憶している。
16日に峰山に行き、雪道で車をドリフトさせて遊んで、
夜中に帰りその明け方に震災はきた。
実家は、崖の上に家が建っているような所で、
俺の部屋も崖の上の2階で、家が潰れて下に落ちると思ったほど
揺れたのを思い出す。
姫路でこれだけ揺れたんやから、神戸は半端無かったと思う。
直ぐにテレビをつけると、長田は凄く燃えていた。
長田におばちゃんがいたので凄く心配だったが、
先に無事と分かる。
家は半壊だった。
しかし、おっちゃんもおばちゃんも
タンスが倒れているのに寝ていたらしい

(俺でも起きるで

他の家の人が起こしに来て初めて事態に築いたと言っていた。
その家、親戚一同で解体しにも行った。
そして親戚が家を建て直し
その家で、神戸マラソン第1回、第2回泊まらせてもらった。
おっちゃんは他界したが。
おばちゃんは80歳でまだまだ元気だ。
耳が少し遠いぐらいで、メールもガンガンするし
絵文字もガンガン打ってくる元気なおばちゃん

今年も、ゲンのいい神戸マラソン抽選当たりたいな~。
洗面所は震災で割れた洗面を
修理してまだ使っている。
それを見ると、毎日思い出すらしい。
悪い事も、良い事も学んだ震災だと思う。
この前の様な気もするが、忘れていないという事だろう。
東日本大震災もまだ2年もたっていないが、
これは逆にもっと経った様な気がするのは
俺だけだろうか?
同じ日本で起こった事とは思えないのもある。
よく自分が出来る事は無いかと考えるが
やっぱり、てっとり早く義援金になる。
何やかんやで、1万円程と、物資(タオル、服)
などは送ったが、まだまだ阪神淡路大震災で苦労している人は
多いが、何とかやっていかないと生きていけないし
、生きていないと楽しみも無い。
楽しみと、楽、は全然違う。
この頃、楽は嫌いになって来たと思う。
たくさん苦労、我慢した分必ず自分に返ってくる。
そう思って毎日過ごせて居る様な気がする。
そんな事を考えながらの1日だった。
という事で、仕事を終え
佳穂(中2)を英語に送るまでに時間があるので
速攻走る

いつものコースで、恒屋川沿いを走り、
球場上の440m周回をぐるぐる回って
時間が来て帰る。
即着替えて、佳穂を送る。
本当は英語の間も走りたいが、寒すぎて着替えんとあかんし
風邪ひいても困るので、12キロで終了

色々考えた1日となった。
突然の災害で自分よりも、苦しみ
貧しくなった人もいる。
でも前向きに明るく生きている人。
見習わなくてはいけない。
人間結局1人では生きていけないと、そう思った。
コメありがとうございます!
いきなり5キロと言わず
1キロでもしっかりと走ればいぃと思いますよ(^-^)
神戸で震災経験されたんですね。
何とも言えない気持ちです。
膝が痛いのなら、無理せずにゆっくりと
やっていけばいいと思いますよ。
いきなりやれば体もついてこないしね!
僕も始めは、短く行きましたしね。
昔と同じ体じゃないし、用心して
頑張って下さいね(^_^)v